Discotheque Saloon : GLAM SLAM: ジブンスキーのパラドックス(相当長文)

2009年8月18日火曜日

ジブンスキーのパラドックス(相当長文)




ハーイ!みなさん、こんばんわぁ!

何しろ、店の営業してないのに
店のオフィシャルブログを公開してくってのは
半端ない切なさ、やり辛さがございまして

ぶっちゃけほんとにネタがないわけですね。
自分ネタしかないわけです。
内部公開するわけにもいきませんですしね。

てなわけで、苦し紛れ第二段
『ジブンスキーのパラドックス』と題しまして
某嬢の『ジブンスキー』というワードを勝手にパクリ
語ってみたいと思います。


『ジブンスキー』
それは、そのまんま『自己愛』ってな話なんですが
みんな~、自分のこと、大好きでしょう?
ボクも自分、大好きです。
ただこれ
ココで言うてる『自分』て言うのは
セカンドライフ内に生かしている自分アバターのことです。
自分という『中の人』が
アレコレ工夫してカスタムした
キャラクターも全て含んだ、アバターのことです。
自分の好きなようにカスタムしたアバターは
そらもう、大好きに決まっていて
特にボクのように
愛するプリンスになりたい!なんてので
アバターカスタムに立ち向かっていたりしますと
愛情もヒトシオなわけですね。
思い入れも、費やしている時間もそうですが。

そんな風に、みんなたぶん『ジブンスキー』なのに
どうしてこう
対人関係絡んでくると
引け目を感じ始めたり
遠慮がちになってしまったり
『自分なんて・・・』とか言う話になってしまうのでありましょうか。
『自分なんて・・・』と言う場合、これ、
明らかに何かを比較対照しているから出てくる台詞なのであって
な~にをそんなに思いつめて
な~にをそんなに『自分なんて』になってしまうのか
そこの謎について考えています。
まあ確かに
いつでもどこでも、問答無用で容赦なく
『ジブンスキー』オンリーでいられても困るわけですし
そんな簡単な話でもないことくらいは分かるんだけど
卑屈になる事ないだろ。
そう思う次第で。
会話の中で
『いやいや、自分なんかとんでもないっすよ』
とか言う場合のそれと、コレはニュアンス違いますからね。
それは、やってる活動や、やってきたことなどの
(対外的な)功績具合や、認められ具合を基準に
言うているわけですので
ここに格差があるのは当然のことで
『自分なんかまだまだ・・・』ってのは
出て来てあたり前。
というか、出ないと逆に変です。
なので、そう言うニュアンスではなくてですね。
すっかり・・・なんつんですか。
文字通り『卑屈になってる』って言う状態のことです。
比較しなきゃいいじゃん!と思ってしまう。
でも自分を、自分たるやってのを、確認するってのは
比較して初めてできることというのもあるんで
常にボクらは、知らず知らずに比較のしっぱなしであるのが
現実なんだけども
だからボクはいつも
何かを説明する時は、例えを出したり、比較するものを登場させて
話をしたりするけれども
それはあくまでも便宜上そうしてるだけに過ぎず
本当に比較しているのではなかったり
ましてや比較して優劣決めたりしてるわけでもないわけです。
あ。そ~。
そこだ。そこだね。
比較するのはいいとして
そこで優劣決めるから、変なことになるんだね。
しかもこれ『卑屈な気分』で決めると
自分が勝つはずございませんで。
人生勝ち負けが全てではないなどと
ボクは思ってなくて
常日頃、無駄にいろんなものと戦ってますので(脳内で)
余計に思うんだけど
なるだけ、比較対照する場合は
『ジブンスキー』のレベルを、高めに持ってった状態で
するようにするといいと思います。
じゃないと、負け人生的な気分になります。
って、ボクもしょっちゅう、そのパラドックスにはまるんだけどね。
大好きな自分が全然何もかもに負けていて
そんな自分を大好きって言う自分ってどうよとか
あ~、やっぱそんな自分嫌い嫌いとか
でも、そうやって凹んでる現在
自分が好きだから凹んでるんじゃん、矛盾してら!!
みたいなパラドックス。
って・・・また意味のわからんことを長々と書いてますが
読む人いないんだろうなあ。まあいいや。
なにしろ
そのパラドックスのきつさを味わうのは
『自分だけじゃない』というのは忘れずに
みんなが絶好調で
自分だけが台無しで
仲間はずれになってるなどと思わないように。
『ジブンスキー』のレベルをちょっと高めに持ってって
こういう状況になっている今は
自分が至らないからであるとか
自分が受け入れられてないからであるとか
自分がどうでもいい存在だからであるなどと
どんどん『そっち』にはまっていかないように。
自分の愛する自分は
きっと、みんなにも愛されています。
『コレくらいまで愛して』
なんて思っちゃダメ。
そこは、相手の領域ですから。
相手が決めることですから。
なのに、相手が『コレくらいまで』ってとこまで愛してくれないと
どうにもこうにも辛くなる。
けどそれは自分のわがままであるし
『コレくらいまで』は愛してくれてないかもしれなくても
もっとありえんレベルのすんごい方法で愛してくれてるかもしれないし
素敵なやり方で愛してくれてるかもしれなくて
『コレくらいまで』ってとこばかりに気持ちと目がいってて
ありえんレベルのすんごい方法で愛してくれてることも
素敵なやり方で愛してくれることも
無駄にしてしまっているというような
失礼な話、もったいない話になります。
もっと信じる。
なにをって、自分を。
愛される資格をバッチリ持ってる
自分なりのパーフェクトな自分を信じる。
そんなわけで
こんな長々とした文章を、ココまで読んでくれた
そんなアナタであればできます。きっと。
『ジブンスキー』のレベルを高め設定してみてくださいね。
せっかく、素敵なアバターになって生きてるんですから、ココで。
リアルでかなわない、アレやコレを
全部味わってやる!!って、思うでしょう?
リアルよりも『ジブンスキー』を上げれる世界。
それが、セカンドライフなんですから
どうせなら
うまいことやって、中の人もろとも
上げて行きましょうよ。
こんなカッコイイ、セカンドライフの自分を
創造し、操縦し、活動して
そこでの人間関係もどんどん広がってる
そんな自分を、楽しみましょう。ね。

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